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それは本当に「まっさら」ですか [気付き]

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「気づき」が自分の価値観となっていないでしょうか。




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真の自由の意味 [気付き]

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前回の投稿では言葉は少なかったですが、「自由な状態の時は、概念や*観念に一切捉われていない。」は、これは無心になる瞑想状態になる、こういったことを想像している方、それは正しいですが違います。

概念や*観念に一切捉われていない状態とは、何かをしていようがしていまいが自由です。
全てにおいて自由なのです。

自由という概念すらない状態です。
元々、概念も*観念もなく自由なのですから、自由という概念がないのは当然であり、「在る」だけです。*本質そのものです。


※文中に出てくる「*」は、言葉解説のページをご覧ください。



タグ:観念 本質 在る

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真の自由 [気付き]

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自由な状態の時は、概念や*観念に一切捉われていない。

まことに自由というのはそういうことです。
自由というのは得られない得るものでもないのです。


※文中に出てくる「*」は、言葉解説のページをご覧ください。

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悟り [気付き]

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悟りと言葉にすれば解釈が入り、いわゆる「悟り」ということで言えば誰しも解釈の通りの言葉です。
悟ろうとすれば悟りから遠ざかります。かと言って、悟ろうと思わなければ悟れません。
どっちだ?

いわゆる「悟り」は人が作った概念であり、元々存在しません。
作った概念を追いかけて「悟った」「悟れない」とジャッジしているに過ぎません。

悟りとは、悟った人がそのものなのです。
言葉にすると、たちまちメセッド化になってしまうのですから、*本質に意識を向けていると勝手に悟りと謂われるものになっているのです。

「あぁ、これのことか」と分かる類のものですから、先走らずに*本質に意識を向けていましょう。

誰かに確認を取らずとも、気付くと分かるのです(思い出す)。まるで間違い探しの間違いをボーッとしてたら発見したかのように力が入っていないものです。

しかし、確実に体感としてというか、気付いたが如く分かるのです。
悟りの試験勉強もしていないのに分かるのです。


※文中に出てくる「*」は、言葉解説のページをご覧ください。



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言葉というカラクリ [気付き]

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言葉は人が作った便利なツールです。しかし、時には一つの言葉や文章に対して、幾通りの解釈がなされてしまいます。
そのため、誤解を生んだり、喧嘩が始まったりすることもあります。在るがままに伝わらないのですね。

言葉はコミュニケーションツールとして大変優れたものでありますが、同時に*観念も存在しているために直接的に伝わらないのです。
私がこのブログに書いていることも同様に、解釈が入ったりする等するとストレートに伝わりません。しかし、言葉は「*本質」を体感する道標として伝えることは出来ます。
つまり、言葉を解釈するのではなく、言葉の先にあるニュアンスを感じ取ることで、次第に体験として「*本質」が腑に落ちることになります。

書籍等でも一度ではなく、随分後で読み返しみると新しい発見があったりします。「*本質」も分からないと思っていても不意に分かったり気付けたりするものです。
言葉上での*本質は「何か」であり、真実があるとしたらその「何か」は不変です。その「何か」を体感すると腑に落ちます。
「何か」は*観念の中にいようと外にいようと在るので、腑に落ちても落ちなくても在ります。

腑に落ちたことを誰かに伝えようとすると、*本質、気付き、といった具合で、人が作った言葉というツールで伝える他はありません。
例えば嬉しいことや喜び等を体験・体感したことをすごく人に伝えたくなって、ウキウキして伝えても100%伝わらないのと同じで、体感をそのまま体感として在りのまま伝えられないのがこの世界(現象界)なので、言葉は道標として使うことしか出来ないけれど、それを「読む人」は「解釈する前に」一歩引いてニュアンスを感じ取ることをしてみるのも良いかもしれませんね。

文章なり言葉で共感したりすることはありますが、それは共感する人が「体感している者同士」だからですね。「ああ、それ分かる!」ということは度々あるでしょう。
共感している人達からすると、分かるから分かるとしか言いようがないのだけれど、分かることを体感として説明しようとすると困難ですね?
*本質も同様にストレートに説明することは困難ですが、私がここに投稿するのは道標となることを切に願うからです。

道中にある看板に「ここから200m先」という道標として、私の投稿もこの看板の道標として役割を果たしていると思って気楽にお読みくださいね☆


※文中に出てくる「*」は、言葉解説のページをご覧ください。


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在り方を知る [気付き]

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*本質に触れた

する、ではなく在る

様々な事象を眺めて、どのように在るかを選択する、在り方を知り選択する

それがこの現象界に存在し、在らんとする理由


※文中に出てくる「*」は、言葉解説のページをご覧ください。



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意識するポイント [気付き]

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新年おめでとうございます
今年もよろしくお願いいたします


以前の投稿でも少し書きましたが、意識するポイントは私の場合はミゾオチの少し上です。
*気付きをする上で最初の頃は意識的にいた方が良いのは言うまでもありませんが、気付いた次の瞬間に*観念に巻き込まれていることが多々あると思います。
気付いたら意識的に意識するポイントがあれば、そこに意識を向けてみましょう。雑念やら何やらがよぎっても良いので、そのまま意識するポイントに意識を向けているとどうなるでしょうか。是非、試してみてください。

意識するポイントがどこか分からない方は例えば、呼吸を意識することでも構いません。*観念がよぎっても呼吸に意識を向け続けてみるのです。
呼吸に意識を向けている時点で、*観念から離れているのですから、安心して意識を向け続けてください。
あれこれ技術的なことは一切必要ありません。
最初はダメでも、やがては「気付いている状態」がデフォルトになっていきます。それはあれこれ思考を働かせた結果ではなく、*本質に在ったことで全自動的にそうなっていくものです。あれこれ分析しないでするのです。

思考や雑念が頭をもたげてきても、意識的にいることがどういったことかが誰にも教わらなくても実感として腑に落ちるでしょう。
「いつもの自分」のままでいるより、「いつもの自分」に気付いている(意識的)と、いつの間にか視野も広がっていることにも気付くでしょう。これは気付きというよりも、ただそうで在ることで副産物的に得られたものなのです。

大きなことをするのではありません。意識するポイントに意識するだけで*気付きは訪れますし、*気付きを待って「これはこうだから気付いたんだ」と分析する必要もありません。
気付こうとすることは*観念からのアプローチですので、ループに陥らないように留意しましょう。留意するといっても、意識的でいるだけで他にすることはありません。座禅を組む必要もなければ瞑想する必要もありません。
瞑想が得意であればそうすれば良いですが、瞑想は「形式」ですのでいついかなる時でも瞑想というわけにはいきません。
意識的に在ることは、いついかなる時でも場所を問わず出来ます(在れる)。

意識するポイントに意識を向けた時点で、*観念から離れ、「在る」のです。気付いている状態です。




※文中に出てくる「*」は、言葉解説のページをご覧ください。



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年末のご挨拶 [雑談]

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今ここに在り。

感謝申し上げます。

また来年もよろしくお願いいたします。


チョココア


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風邪をひいた [気付き]

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風邪をひいた
そうなのだろうか?

寒気がするから風邪だよ
そうなのだろうか?

鼻水出るし風邪だよ
そうなのだろうか?


色々な原因を探していると、それらしくなるものです。
「風邪」といわれる症状が出たとして、本当に思っているような風邪なのでしょうか。
風邪と思いたいのは誰でしょうか、風邪ということにしたいのは誰でしょうか。
そうです、風邪というものを無意識に無防備にそうさせているのは*観念です。

長年、習慣化したものは無意識レベルにまで刷り込まれ、それが真実であり当然になっています。*観念とはこういうものですから、*本質に在りましょう。


上の方で書いた「そうなのだろうか?」と何でも疑えば良いとかそういった話ではありません。
疑うことが目的にならないように気付いていましょう。
いきなり「そうなのだろうか?」ということに抵抗があるならば、「もしかしたら間違った認識をしているのかもしれない」と思えれば良いかもしれませんね。

例えば、咳や鼻水が出て風邪かなと思ったら、「もしかしたら間違った認識をしているのかもしれない」といった具合です。そうやって見ていると今まで風邪と思っていたことが「こじつけ」のように感じてくるものです。
風邪の症状が出ても、「ただただそのようになっているだけ」です。そうなるとどうでしょう、いつも風邪の症状が出ると咳が出てひどくなるはずが、それ以上酷くならなくなったりします。


風邪を例に挙げましたが、全てにおいてそうなのです。何故かというと、*本質は*観念に左右されないからです。



※文中に出てくる「*」は、言葉解説のページをご覧ください。



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そのまま在りのまま [気付き]

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*観念を消そう、*本質を得よう。
このように目的化してしまうと、際限なく*観念に巻き込まれてしまいます。

さぁ、モチベ上げて願望を叶えるぞ!
と、モチベを上げる方法論を探し、叶え方を探す。
これだけでも同時に2つの*観念があり、しかも、無意識にそうさせてしまっている気付けていない*観念まであります。
「自分」にとって大なり小なり望むことがあったとしても、それは大も小もなく、望むものが全てであり、それそのもので在れば良いわけですが、苦労して得ないと満足したくないという*観念があれば、常に(自我が)見たくもない現実を見てしまうでしょう。

在りのままを難しいと感じるのであれば、それは*観念によって(自我が)そう思っているだけです。
延々とループしてしまうのは、(自我が)そうしたがっているだけです。


※文中に出てくる「*」は、言葉解説のページをご覧ください。



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