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考えることはシンプルさから離れる [気付き]

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「在る」はシンプル過ぎて逆に難しく解釈されているのかもしれませんね。思考は「在る」を理解出来ません。考えて考えて諦めたり、考えて考えて思考の隙間が出来た時に「在る」の状態になることがほとんどです。
考えることはシンプルさからかけ離れ、*現象を在りのままに見ることをしません。あれこれ意味をつけてはジャッジすることを無意識にしているからです。

あれこれ考えるのも面倒だ!ということであれば、これを機に意識として在ることに留意しましょう。別にお金がかかるわけでもなく、日常生活に支障をきたすわけではありません。

「在り方」とは「そのものを体験する」ことです。演じるのではなく、そのものなのです。
(※言葉で説明すると「解釈」が入るので極力ストレートに表現するようにしています。)
願望実現の話に置き換えるならば、そのものを体験するのですから既に叶っていることになります。
*観念からすると不可思議な話ではあるでしょうけれど、不可思議さを見ている何者かがいることに気付き、*観念から離れてみてください。
チョココアが何をいわんとしたか、実際にドストレートにそのものを体験してみてください。なんでも良いです。笑

※文中に出てくる「*」は、言葉解説のページをご覧ください。


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意識として味わう [気付き]

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この世に意識として在り、味わう。
シンプルだけれどシンプルだからこそ、そうで在る。


タグ:意識 味わう
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ありのままの自由になるの [気付き]

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*本質は振る舞うこともなく、在りのままの状態です。
某映画の主題歌ではありませんが、ありのままの自由になるの。

*観念は無意識により、まるで何かを演じているかのごとくオリジナリティがありません。*観念は生まれてから蓄積された情報の集合体のようなもので、その情報内で「自己」を形成していき「自分」として認識し、この「自分」が全てであり当然のことだと思っています。
この「自分」とは*観念であり、思考等は全て*観念のものでオリジナルのものが一切ありません。ですからリアクションも*観念から導きだされて演じているに過ぎません。

*観念と紙一重の裏側に*本質があり、この*本質は自由そのもので在りのままです。在りのままとはオリジナルそのものです。
*本質に在ると、何かを演じることも出来るし、演じてもそれを眺めているような感じです。*観念が演じるような疲労感はないのです。


※文中に出てくる「*」は、言葉解説のページをご覧ください。

タグ:観念 本質
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全ては本質と表裏一体 [気付き]

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どれだけ困難な状況にあろうと、どれだけ不安や恐怖につきまとわれようと、どれだけ*観念と一体になっていようと、その裏には必ず*本質があります。
紙一枚を裏返せば*本質です。

今に在ろうとして今にいられないのは、*観念が自分を自分自身だと思っているからです。ですが、今にいないという選択をしているのは*観念であり、そのように見えているのは幻想なのです。
*本質はいついかなる時も常に在り、どれだけ*観念が「*本質なんて悟らないと分かるわけがないよ」と言っていても、*観念の思惑とは裏腹に*本質は常に在り続けているのです。

*本質は誰でも経験をしており、究極的にはこの肉体があり心臓があり呼吸をしている様は、当たり前過ぎて気付きませんが*本質そのものです。
肉体は物体ではありますが、全自動でその役割を果たしています。私達が努力したり頑張らなくてもです。
現実(*現象)も目の前にある生活品や様々なモノであろうと、無条件に存在してくれています。
まっさらになってみると、そこはかとなく感謝が沸き起こり、ありがたくなるのです。

どこにいようと*本質は背景に無限に広がっているのです。この*本質こそが即我です。
表裏一体どころか、意識しただけで*本質そのものになるのです。

※文中に出てくる「*」は、言葉解説のページをご覧ください。


タグ:観念 意識 本質
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まっさら即本質 [気付き]

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全ては*本質と表裏一体。
*本質は我であり意識そのもの。


※文中に出てくる「*」は、言葉解説のページをご覧ください。




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「今に」つづきのつづき [気付き]

本質図12-2.jpg
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チョココアの雑感 [雑談]

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昨日みたいに書いていきます。

「この世に様々な法則や法則性があるからには、地球規模、宇宙規模にさえ何らかの法則性があるに違いない」
と確信めいたものがありました。何かは知らないがピンと来るというのでしょうか、論理の飛躍のようにも思えたのですが、不思議なほど確信に近いようなものがあり揺らぐことはありませんでした。

ある時、みんな一緒にとても楽しく過ごしている最中、瞬間湯沸かし器のように大激怒する人がいて、この大激怒した人は楽しく笑顔でもいたのに急変したのです。
激怒した内容は置いておいて、この楽しい最中に真逆のことをやってのけられることに驚きと感動と知的好奇心を揺さぶられたことがあります。
この経験から、辛い最中でも楽しくなっても良いはずだ、と思えたのです。激怒した人は楽しい最中でしたが、逆も有り得るなと理屈ではなくインスピレーションのように浮上してきました。
人生は全て選択の連続ではないのか。全て必然的に起こり、自らが選択しているのであり偶然というものは一切ない。と知ったのです。

勘違いかどうなのかは定かではないが、欲しいと思ったものが家にあったり、なくなったものが忽然と現れたりすることもあった。これは偶然だと思えることですが、偶然という選択をしているとも言え、まさに詭弁のようなことがこの世には「起こっているように見える」のです。
ただ在る視点(気付いている状態)だと、レッテルも貼らずに眺めているので、必然や偶然かも認識していません。
とてもシンプルだと言うのはここにあるのですね。


さて、私のことと言えば、意識を向けるとそこにエネルギーが見えるような感覚だったり、例えば手に意識を向けると手がピリピリしてきたり、空間に微粒子のようなものが見えたりします(見えなくても良いのです)。
このようなことは求めたものではなく、元々あるものですから、*観念の外に出れば自然と得られる(思い出す)シロモノです。笑
シロモノというとレベルが落ちる感じですが、そうではなく、これらは特別というほどのことではないという意味でのシロモノです。
人間国宝が自分で人間国宝だと思わないし、自分が特別な存在でないと思っているのと同じようなことです。本人はいたって普通だと思っているのです。
みなさんがあなたは今日から人間国宝ですよと言われても、違和感しかないでしょう。それと同じです。
このような意味では、「雲の上の存在」というレッテル貼りがいかに無意味なことかがお分かりいただけるのではないでしょうか。
悟りや*本質も特別のものではないのです。


※文中に出てくる「*」は、言葉解説のページをご覧ください。



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チョココアの体験 [気付き]

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雑談よりになります。
小さい頃から大人の「わざとらしさ」に違和感があり、どこか一線を越えてはいけないものがあるような気がしてなりませんでした。
知識が増えていくと、理性というよりは*観念で感性をや感受性をねじ伏せていったように思います。
ある時は誰もがあやつり人形のように、空から見えない糸が下がっていて、みんなこの糸に操られているんだ等と思ったこともあります。それほど違和感があったのですね。

大きくなるにつれ、*観念に生きることになりますが、たまに違和感が芽を出してくるのです。知的好奇心はある方で、その違和感の謎を解き明かしたい欲求に駆られては、どれだけ考えても答えが出ませんでした。
大人に成るほど知識が蓄えられ、知的欲求の塊と化し、宗教の類やそれに従事する人達を嫌悪し、科学的根拠しか信じなくなったほどの私ですが、違和感は相変わらず出てきては、これはなんだと考えさせられ、やはり答えも出ませんでした。

科学的根拠や理詰めで物事を考える現実主義者の私のこれら*観念が打ち砕かれたのは、311の津波と原発事故があった後でした。
自分自身では頭が悪い方ではないとう自負と他者からの評価もあり、自他ともに認める「お役にたつ人」でした。しかし、311の時ほど自分の無力さを痛感させられたことはありませんでした。
原発の仕組みを調べたり、元原発従事者や管理者がどのようなことをしていたか等を調べ、また、その筋の教授の補佐をかって出て、少しでも福島の人達の力になればという思いでぐるぐるしたり。
放射線で苦しむ子供達を救いたい、ヒーラーとなって白血病や放射線によって何らかの病気になる人達を助けたいと思う一方、そんな力もなく、ただただ毎日のネガティブなニュースに翻弄され、仕事も出来なくなるほど引きこもってしまいました。

ある日のテレビでゴールデンウィーク前になる頃、福島の避難者の女性の方がインタビューで、
「みなさんゴールデンウィークは楽しんでください。私達のことを考えてくださることは嬉しいですが、私達はそこまで落ちぶれてはいません。どうか楽しんでください。」
意訳ですが、こう仰いました。

この時に奈良の大仏くらいの巨大な何かの拳が私の脳天を実際に直撃させるくらいに「しっかりしろ!!」と私の*観念を衝撃と共に打ち砕いていきました。
物理的に奈良の大仏さんが拳を振り下ろして脳天に直撃したほどの衝撃があったのです。そんなことがあると即死ですが、確かに見えて聞こえて感じたのです。

それからは自分でも驚くほど世界が輝いていて、何を見ても愛しく感じ、全てが自分だと理屈ではなく、ただそうで在ることに浸り、部屋から廊下に出ても全てが私であり廊下であり空間であり、トイレの壁が愛しくて脳内に出てくるイメージさえも「知っているし私そのもの」でした。
宇宙即我というのも言葉で書くと壮大な感じがして違和感は残るのですが、全てが私であり私は溶けて全てそのものだと分かるのですね。
そもそも「私」と表現することさえ違和感でしかなく、かといって相応しい表現方法がありません。

私チョココアがシンプルに楽になったのは、やはり*観念に生きなくなったからです。
*観念は自己価値観の塊みたいなものですから、どうしても「私」というリアリティが伴いますが、まやかしみたいなものです。
ですから、「まっさら」や「*観念から離れて眺める」ということが最初は体感もしっくり来なくても、折に触れてやっていると気付きが起こってきます。体感もしていくことになります。

チョココア即卵かけご飯というのは、冗談ではなく本当のことなのです。笑


※文中に出てくる「*」は、言葉解説のページをご覧ください。

タグ:観念
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古代文明を見て来ました [雑談]

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▲クリックで大きくなります。写真は富山県富山市新総曲輪4-18 富山県民会館美術館「黄金のファラオと大ピラミッド展」

言葉くらいは聞いたことのあった「ファラオ」ですが、エジプト王のことをファラオと呼んだそうです。
スフィンクスやピラミッドはお馴染みですね。
ピラミッドを建造するにあたり、奴隷がピラミッド建造に従事させられたわけではなく、生活の糧を得るために人々が率先して集まって来た。ということのようです。
それにしてもどうやって作ったのか謎めいています。UFOでもやって来て、たちどころの内に作ってしまったとする方が、まだ人海戦術で作ったとするよりよっぽど真実味があるような気がするのですが。笑
(私の観念は子供の域を出ないのでしょう。)
展示物の撮影は禁止ですが、上の写真は入口(出口)に飾られてあったもので自由に撮ることが出来ます。


そう言えば私が小さい頃、「ピラミッドパワー」なるものがあったと記憶しているのですが、人は本当に色々なものを概念化して力を与えるものですね。これらを眺めてみると「楽しい」となるのですが、みなさんはいかがでしょうか。
答えは一つではありませんので、本質から眺めてみてください。
気付いている状態で、です。


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明日から数日不在です [雑談]

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▲クリックで大きくなります。写真は富山県氷見市稲積字大谷内112番1「氷見あいやまガーデン」
以前も紹介しております。


知識が積み重ねられ、やがて知識が観念として取り入れられる。
知識は使うものであって使われるものではないと、先達が言ったものですが本当にそうですね。
知識はあっても良い、しかし、知識に使われないことが大前提だということですね。
知識があっても観念として使わない、ということです。


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