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風邪をひいた [気付き]

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風邪をひいた
そうなのだろうか?

寒気がするから風邪だよ
そうなのだろうか?

鼻水出るし風邪だよ
そうなのだろうか?


色々な原因を探していると、それらしくなるものです。
「風邪」といわれる症状が出たとして、本当に思っているような風邪なのでしょうか。
風邪と思いたいのは誰でしょうか、風邪ということにしたいのは誰でしょうか。
そうです、風邪というものを無意識に無防備にそうさせているのは*観念です。

長年、習慣化したものは無意識レベルにまで刷り込まれ、それが真実であり当然になっています。*観念とはこういうものですから、*本質に在りましょう。


上の方で書いた「そうなのだろうか?」と何でも疑えば良いとかそういった話ではありません。
疑うことが目的にならないように気付いていましょう。
いきなり「そうなのだろうか?」ということに抵抗があるならば、「もしかしたら間違った認識をしているのかもしれない」と思えれば良いかもしれませんね。

例えば、咳や鼻水が出て風邪かなと思ったら、「もしかしたら間違った認識をしているのかもしれない」といった具合です。そうやって見ていると今まで風邪と思っていたことが「こじつけ」のように感じてくるものです。
風邪の症状が出ても、「ただただそのようになっているだけ」です。そうなるとどうでしょう、いつも風邪の症状が出ると咳が出てひどくなるはずが、それ以上酷くならなくなったりします。


風邪を例に挙げましたが、全てにおいてそうなのです。何故かというと、*本質は*観念に左右されないからです。



※文中に出てくる「*」は、言葉解説のページをご覧ください。



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そのまま在りのまま [気付き]

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*観念を消そう、*本質を得よう。
このように目的化してしまうと、際限なく*観念に巻き込まれてしまいます。

さぁ、モチベ上げて願望を叶えるぞ!
と、モチベを上げる方法論を探し、叶え方を探す。
これだけでも同時に2つの*観念があり、しかも、無意識にそうさせてしまっている気付けていない*観念まであります。
「自分」にとって大なり小なり望むことがあったとしても、それは大も小もなく、望むものが全てであり、それそのもので在れば良いわけですが、苦労して得ないと満足したくないという*観念があれば、常に(自我が)見たくもない現実を見てしまうでしょう。

在りのままを難しいと感じるのであれば、それは*観念によって(自我が)そう思っているだけです。
延々とループしてしまうのは、(自我が)そうしたがっているだけです。


※文中に出てくる「*」は、言葉解説のページをご覧ください。



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ボリュームを下げる [気付き]

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音量を下げる、ボリュームを下げるが如く、*観念もボリュームのように下げられます。
気付いている状態であれば、*観念自体を意識しませんが、気付きの段階においてそうならない方は、*観念はボリュームみたいなものだと一旦認識してみましょう。置き換えてみるのです。
*観念に巻き込まれている場合は、音量は大きいでしょう。あまり気にならない*観念は、音量は小さいでしょう。

何かあった際、*観念に気付いた時にじっと見ていると、音量が大きいか普通か小さいかは分かると思います。*観念はただの音であり、ボリュームによって上下したりするのです。つまり、*観念が音だと分かれば音を下げてしまうか、消してしまえば良いのです。

音だと分かった瞬間に、*観念から離れているので、それで終わりです。笑



※文中に出てくる「*」は、言葉解説のページをご覧ください。


タグ:観念

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気付いているのに気付けていない観念 [気付き]

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何か起こった時に、「あ、これは*観念だ」と気付くと思います。
しかし、気付いているのに、無意識の内に*観念を追っていたりします。
無意識なので気づけていないのですね。

気付いている状態であれば、気付き自体必要はありません。
実験で「まっさらになる」をすると分かると思いますが(概念や観念を全てなくす)、気付いている状態はその位置からの視点なので、何かをジャッジすることも抵抗することも起きません。

気付けていない*観念というのは、気付いている状態にいないと言えるでしょう。
みなさん経験あると思いますが、いつも落ち込んだり怒ったりする場面のはずなのに、絶好調の時は笑って済ませられたり、意に介さずすっとその場が何も考えることもなく過ぎることがあったりします。
*観念と一体になっていない状態、即ち、*本質に在るのです。
ですから、気付いたはずなのに、何か腑に落ちないとなる方は、まっさらになってみましょう。

*観念なんて『自分マニュアル』みたいなもので、自分で作ったのですから自由に捨て去っても良いのです。
何か起こったからネガティブになる。というのも『自分マニュアル』なので、気付いたらそれで終わりで良いのです。


※文中に出てくる「*」は、言葉解説のページをご覧ください。



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自分も空間も全て一体 [気付き]

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映画館、文化会館や色々な施設に入った際、例えばどこかの会場やホールであればステージがあり、椅子がたくさんあり、通路があったり、明るすぎない照明であったりすることを思い浮かべると思います。

ホールの中で椅子に座っている自分がいます。

ホールの空間を認識し、座っている自分を認識していることは当然と言えば当然ですが、この当然なことを認識している「何か」があるわけです。

自分を認識し、ホールも認識し、これら全てを認識している「何か」とは、意識であり*本質です。
分離のない全てです。

全てから切り離す必要はないわけですね。
あれこれと*観念やら思考が、自分、ホール、と切り分けて概念として解釈をしているだけですから、*観念の外に出る(概念をなくし、まっさらになる)と、既に*本質です。



※文中に出てくる「*」は、言葉解説のページをご覧ください。




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真似から入る人 [気付き]

とある人の話。
尊敬する人のようになりたくて、尊敬する人の真似、例えば仕草や態度や接し方や生き様といった感じで真似をしてみるとのこと。
その方も素晴らしいのですが、面白いことが聞けました。
確かに尊敬する方とどことなく方向性というか、感性のようなものが似ているなとは思っていましたが…。

その方曰く「短気なところまで似てしまって。ガハハ」と笑っていましたが、ご本人は割と切実な様子でした。
何かと言うと、しんどくなってきた時に「尊敬している人も怒るから自分も怒ってもいいだろう」となってしまうようです。
当然、これは*観念です。みなさまおっ察しの通りです。

この方は気付いているのに止められないでいることに、かなりの葛藤を覚えていて自分自身が不甲斐なく、過剰に自分の至らなさを責めているようなのですね。
他のことでは寛容であり、割と大らかで隙のない出来た人なのですが、「尊敬する人」という自己価値観がどうしてもネックになり、気付いてもすぐに金魚の糞よろしく「尊敬する人」という*観念に覆われてしまうのです。

これも以前に掲載した図と同じ構図です。
本質図13.jpg

分かっちゃいるけどやめられない。という*観念もありますね。
何度も言うようですが、一つ一つしらみつぶしに*観念に気付くより、*観念の外に出て眺めている(在る)ことが何よりも楽でシンプルです。
気付いている状態ですから、気付く必要もないのです。


※文中に出てくる「*」は、言葉解説のページをご覧ください。




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堪能してみる [実験]

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願望なるものがあったとして、その先にある本質そのものになってみる。
ただそれだけ。
そこに抵抗があったりすれば、気付いている状態から抵抗を見てみましょう。




話は違いますが、ふと意識に上ったので書き留めておきます。

初心忘れべからず、です。
初心は純粋な動機で恣意が働いていないことがほとんどです。
ところが、*観念を通すと初心に返ることが億劫になったり、ともすると「あの時と今は違う」とレッテルを貼って遠ざけようとします。
初心があった事実がある以上、それは今すぐに在れるシロモノです。ただただ*観念がそれを妨げにしているだけです。


※文中に出てくる「*」は、言葉解説のページをご覧ください。



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微妙にうつろった後は [気付き]

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微妙にうつろってしまった後、気付いて自責の念に駆られるよりも、気付いている自分がいることに気付けばOKです。
後に尾を引いてしまう方は、それも*観念ですので気付いたらまっさら(*本質)に在りましょう。

ネガティブな感情を持つようになったり、感情がもろに出てしまう人は、微妙にうつろってしまい*観念に気付いていないことがほとんどです。
普段は物静かだが、スイッチが入ったかのように感情が出てしまう人も同様です。
何でこうなったのか自覚症状がないのと似ています。
それだけ*観念は微妙に微妙にうつろって行き、自分を形成していくのです。

こうなってしまった後は、お約束のように*本質に在ることを忘れて何とかしよう頑張ろうとします。
同じエネルギーを注ぐなら、*本質に向けましょう。


※文中に出てくる「*」は、言葉解説のページをご覧ください。



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微妙なうつろいについて再度 [気付き]

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微妙なうつろい。動画でも書きましたが、*観念は*観念を使って徐々に徐々に、微妙にうつろっていきます。
極端な例が、宗教にちょっとだけ見てみて嫌だったら辞めれば良いやと入ってみたら、気付けばどっぷり宗教の中の人になってしまい、自己価値観が宗教のそれ自身になってしまっている。宗教に限らず、色々なケースでこのようなことが起きているのですね。
しかし、*観念からすると、自分が変わった等とは思わないのです。カモちゃんの動画のように、気付かない内に微妙に、微妙にうつろっているため、気付きにくいのです。

一つ一つ*観念に気付いていくことも出来ますが、気付くことが目的になってしまいがちでキリがありません。気付くことが目的になると、新しい*観念も同時進行で出来ていることもあり、トカゲのしっぽ切りなのです。
*観念の外に出ることによって、気付いている状態であれば、気付くことをしなくても良いのです。


※文中に出てくる「*」は、言葉解説のページをご覧ください。



タグ:観念 気付き

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本質を知らないだけで本質は誰でもある [気付き]

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本質を知らないだけで(*観念)、*本質は誰でもあります。
ふとした時に、時間の感覚も何もない状態があり、まるで静止した世界に身を置くような感覚です。
私が経験したことで言えば、学生の頃にテレビを見ていたのですが、ふいにイメージが入り込んで来て、そのイメージの状態になりました。
そのイメージとは、空間は暗闇で私が座っているのを俯瞰して見ているものです。
さっきまでテレビを見ていたリビングが、何もかも一切なくなり、ただの暗い空間に私がポツンと座っているのです。それを俯瞰して見ている状態です。
感覚としては快も不快もなく、しんと静まりかえっていて、*観念としては何が起こっているか理解出来ていないが、*本質はただただそれを見ていて「在る」でした。

この頃の私は学生の頃なので当然*本質を知りませんでした。
しかし、*本質を知らないだけで、*本質を経験していたのです。
私のような感じではなくても、何かしらみなさんも必ず経験しています。
つまり、*本質は探さなくても既に在るのです。
在るから、みなさんは「ここに存在している」のです。


※文中に出てくる「*」は、言葉解説のページをご覧ください。
タグ:観念 本質

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